行輝です。
30年ぶりに、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」(亀山郁夫訳 光文社文庫)を読んでいます。
はじめてこの物語を読んだのは、大学生になってすぐの頃。岩波文庫から出ていた、米川正夫さん訳のものでした。
その頃は西荻窪に下宿していて、大学のある早稲田まで中央線と東西線を乗り継いで通っていました。通学の電車の中でもずーっとこの本を読んでいたことを、当時の空気感と共に思い出しました。
食事、風呂、寝る時意外は常に読み続け、一種、中毒といってもいい状態でした。
「カラマーゾフの兄弟」を読み終えた後は、「悪霊」、「白痴」、「罪と罰」と読み進め、結局、河出書房の全集を買いました(今は手元にありませんが)。
以前、仕事で染色家の志村ふくみさんを取材させていただいた時、何かのきっかけで、「カラマーゾフの兄弟」の話になりました。
志村さんは何回も読み返していられるそうで、その時もちょうど「今、読んでいるのですよ」とおっしゃって、「読む度ごとに、新しい感動があります」と語っていらっしゃいました。
ドストエフスキーの書くものには、圧倒的な力の流れというか、うねりのようなものがあります。人間のもつ業のようなものを、透徹した目で見つめ、私たちの眼前におし広げて見せてくれます。
人間の醜悪さ、気高さ。強さ、弱さ。愛も憎悪も。
純粋な心も、薄よごれた情念も。
人間の中にある感情や気質、思い、思想などを、
まるで自分の姿が鏡に映っているかのように描きだされる感じがします。
読んでいると、
そんなにまでして、人間は生きていくのだ、生き抜いて、そして、死んでいくのだ、という畏怖のような思いが湧いてくる時があります。
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